西暦2016年12月1日(木)
@なんとなくこれからの方向性が分かった もちろん、まだ遣らない
以前だったら、マジ興味ねー、ぴんとこな!という方面の検証
今なら なおさら興味ない、どーでもいいよ的なところだ
よくよく考えたら、この層って厚いんだよね
だから前、なんでそうなんだろ?と疑問だった訳で 逆に言えば ソコにハマり込まない当たり前の前提があったのだろう
これ、崩していくの大変じゃね?
@よく小説や漫画、などで 救いがない、という表現を聞く
これは、エンディングで 救いがないからイヤ的な意味
だけどそれなりに重いテーマであれば 救いがあるほうがご都合主義で 嘘くさいだろーと思っていた
これってある意味正論だ
幻想を終わらせるプロトタイプの私の初期設定だな
救いがあったら ハマり込んで 終わらせようとはしないだろー
終わらせるって死、とか消えたいとかこの世的意味じゃないし。
@2年くらい前から 何を言ってんだ? 何のことを指してる???と意味が解らなかったひとつ
もういいやーってことで すっかりその部分失念してたわ
そもそも何処、見てる?ナニに合わせてる???的視点
見てるものが違う、ということに気づいた
例えば文章ですら主語を
あたし、アタシ、わたし、私 僕、ぼく、ボク 俺、おれ、オレ
・・・と変えて
硬い文章にするかきゃぴきゃぴ系にするかで 印象はかなり違う
別人にも見える
最初にSNSで出逢ってオフ会などで逢うと 文章からイメージしてた人と違う・・・というのは多々ある
ましてやキャラや物語に投影してれば←念のために言うと心理的投影 誤作動、別人を私だと認識されてもしかたないね
いやいや、それ、皮肉屋の龍ではないか?!
少なくとも私自身 そんなキャラ出した覚えはない それと私が前に言った人、認識している人物でもない
今更だよね・・・、ソコ 意味解らないはずだ
もう、いい加減 知覚は欺くために在る、という意味を考えろ!
私自身キミの文章や声 キミの感じたままの知覚・・・に対して 文章がきちんと見えてる、聞こえてる 感じてると思っている訳ではない
全てにおいて そらし、この世界に引きずり込もうとする意図 ハマり込もうとする意図があることだけは分かる
あー分かりずらいな
簡潔に言うと 己の知覚、五感も 他の存在の知覚や五感も全てを信じていないということだ
これはリアルに逢って目の前で話そうが電話やメールで会話しようが関係ない
すべてが等しい