2015年1月22日 メモより
2014年11月~1月中は時間もあちこち飛んで支離滅裂だったけど
やっと分かった・・・
ってか、
あーすべてが・・・分かった
その後で私は何ひとつ分かってなかったな、と思った
もちろん、分かっていないと分かっていたけど
自分の核は在って揺らがない
その核が偽りだと疑うことすらしなかったという意味で
何ひとつ分かってなかった
“他者”という鏡が存在している(ように)見えたのに
対比がないと・・・気がつかない
今・・・私はなにもない
土台となるものも
信じる何かも
信じられない何かも
“ない”と、確認できる“ないもの”も
なにもかも、うつろ
消えたのは・・・知覚に頼ったら再入場か
形を変えて残るから、だ
どっかのレトロな遊園地のように
1度退場した所で、手にスタンプを押してもらう必要もない
だって、パスポートはあるんだから
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【黒執事】で アンダーティカーが動く死体について
最初は『人への好奇心』と言っていた
『肉の身体』と『魂』この2つがそろえば生者としてこの世に存在し、
人生の記憶 『走馬灯』を記録し続ける
そして肉の身体が朽ち 死神が魂を回収すればそこで走馬灯は終わり
生者は死者となる
(中略)
小生はある日考えた
エンディングの続きがあったらどうなるんだろう
魂を失い、終わりを迎えた記憶に続きを「繋いで」やったら
肉の身体には何が起こるのだろう
なんせ死神が狩るのは魂だけ
『肉体』も脳にある『記憶』もこの世に残っている
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動く死体も進化している
未来の願望
未来へを渇望する
その欠片こそ素材
その素材を取り出すことが出来たら
もしその素材が何万も手に入ったら
もし その素材を紡いだ総尺が走馬灯劇場より
長かったら・・・
それはさながら未来予想図
小生のにせの記憶とは比べものにもならない
未来の記憶
成功率はまだまだ低いんだけどね
ーなぜ そんなことをする
死者をよみがえらせてなんになる?
小生は定められた終わりの先をみたいだけだ
セバスチャン
―そこは気が合いませんね
“死”とは絶望的で 絶対的な“終わり”であるから美しい
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アンダーティカーのいう興味って分かる気がした
“動く死体”は勘弁だけど
“消えて”・・・腑に堕ちてしまった
開いた空間に・・・はちっと嵌まる
魂が本質が自我が心が思考が言い訳が・・・
どんなに何かを持ってこようとも
分かった・・・すべてが・・・この時を・・・
言葉に出来ない
それを敢えて言葉にしたら・・・?
絶対的な死・・・終わりが欲しい
大いなるものでも・・・個は終わるって思う・・・?
うん、おわるだろうね
だけどそこに愛というものが“有”なら
私のとっては 予定調和でしかない
そしてエゴによって創られれば“無”でも“有”だ
これからはもっともっと
どんどんエスカレートするだろう
何としてでも、目覚めないために
被害者を創り
加害者を生み出し
スケープゴートをつるしあげて・・・
しずかに
ゆっくりと・・・
時がかかってもいい
時は既に幻想だから・・・
私は 目覚めて “無”となる
終わりではなく・・・了、となる
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