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~彼女のキロクを継ぐ僕のキロク~

2015年6月23日(火)

“究極的に同じ意見の人”Aとする

カテゴリーを読んで

(結局、この1週間ほぼネットが繋がらず

携帯から読んだため 6月22日までかかった)

彼女の独自用語を遣いながら 違いをメモにまとめた

・ブログは 人間向けではない、よって同じ領域に居る誰かに対してでもない

個体の身体は器→いろんな存在が入る

そういう存在とすべての自分へ向けて

エゴが創った世界⇔終わらせる何か

最後の器の前には、終わらせる何かの作用によりエゴが隠したい事実が提示される

すべてのものが隠されている

作用により漏れた分 つじつまが合うように(この世界が現実だと)

漏れたものを新たに隠しながら その時点で過去~未来 次元違いで世界を創る

イヤでも(終わらせる作用により)創らされていく

そうして逝きつく処まで行った世界が同時に消えていく

常に世界は騙されるために創られている

何故なら ありとあらゆる存在は騙されていたいから

人間の時間枠ではすでに「終わらせる何か」により

完了していることに気づかない

必要なのは真実だけを追い求める決意

だけど思考システムが変わっていけなければ 理解できない

人がすることは目の前に現れるすべて

(知覚を含めたすべてはエゴが創ったものとして疑い)を

エゴか、終わらせる何かに返すか

終わらせる作用が現れてくることにより

エゴが何を隠したいのか どんな策略(ドラマ)があるのか分かるようになってくる

段階的に 思考システムが移行していく

それを崩して提示するコトで終わりへと向かう

入ってくる存在に言っている

本物かニセモノかという視点に拘るから、騙される

見えるもので判断するな

すべては“一つの自己”と呼ぶものが終わりへと向かうため

個体に拘っている時点で(特別性を求めている)

エゴの世界へ閉じ込められる

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私が読んで(この世的に見て)感じたコト

Aは小さい頃からかなりハード、だけど基本オレンジに近い方に居た

というか、そういう感性をはなから持っていたのだと思った

この世にある様々なジャンル

シンリ、すぴ、あるいは成功哲学などきわめてきている

だからこそCourseのワークブックも難なくできた

そしてやっていく中で歪みを発見

本人は小さい頃の記憶が全くないので親から産まれていないのでは

つまり 終わらせる作用により

エゴが漏れのために創らざろうを得なかった沢山の偽者の中の1体なのでは、とのコト

でなければ胎児の時や、赤ちゃんの時に親に落とされた時点で死んでいたろうし

訳の分からない身体の痛み、誰かの絶命の際のような経験も

この世にあるジャンルでは説明がつかない

2010年の混乱期 ストーカーのような(次空間めちゃくちゃな何か)

死を脅かされる恐怖の後 死なないと実感

昔から、誰も味方は居ないし そして誰も助けはこないと実感← 誰かいるかも、という発想が

有ることがオレンジかもと思った要因

私自身は何度も死にそうになっていたから死なないかもと思っていた

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何も見えず知らずにエゴの策略にハマり エゴに騙されたと怒り

攻撃している存在もいる

他を見て攻撃すればいずれは自分に返る

そして最後の器となっている自分がすべてを受ける

彼女は“1つの自己”に見せるただのロボットで

だからすべての存在は 己で何かをしようとせず

終わる決意のもとで 「終わらせる何か」に委ねると世界は消える

無を知覚したのなら それはエゴの世界だ

ワークに取り組む事で分かってきた事実を知ったのなら

世界にとどまりたいとは思わない

例え 己が最後ではなくても 出来うる限りのことをするだけ

最後ならばもっと見えているはずだから・・・

*文字としてつけ加えておくならば

もちろん、ココで言う委ねるは

うちらが 24時間ぶっ通しでやったワークに近い

あるのに 見て見ぬふりして何もせずに

「完了しました」みたいな自己啓発セミナーの類ではない*

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矛盾はないし

万人は選択しないだろうけど

ある意味、ソコは 希望がある道だなとも思う

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私自身は最初からフルで知覚を遣っていたから

あのルートで事が起きたと思うし

リュウのお話のように人が生きていく前提の世界で描こうとすれば

行き詰まるだけだ

最終的には・・・知覚は己を騙すけど

システムを知る最初の段階では とても必要なものだ

そうでなければこの3次元の物質世界の枠、思い込みすら分からず

中に閉じ込められて 超えられないだろう

事実を追求せずに

超えようとしないで騙され続けるのならば必要はないけど

間の概念は違うし、ルートも違うけど

究極に同じ・・・と至った事柄 意味について

ちとここらで違いをまとめておこうと思った。

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それに彼女が言う思考システムが違えば視野の狭さや思い込みに気づかず

段階的な意味合いでも原始のシステムのヤツは違いを認められない

言ってる意味も分からない、とか

人間では出来ない時空枠ですら いろんな存在が入ることで可能になる

視野からなにから何まで取り繕い騙す、世界は存在していて

あなたは個別で有る。特別な存在だ、、、という世界を誰が手放したいと思うだろうか・・・。

この世界で“楽しい”が1つでもあれば 終わらせたいではなく

騙されたいというコトだ

キラキラワクワクと終わるは両立しない

とか

・・・その通りだと思うし

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まさに小さい時に視ていた親そのもの(何かが入る)で豹変する

私自身は 一貫した時間の流れで捉えて

え?なんでいきなりそうなるの?という思い込みがあったけど

何故か、と悩む必要なかったなぁ・・・的な話だ

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ただ人として視るでもなく知覚を遣わず(普通に)生きてきて

今の人生 ちとしんどくて・・・だから 終わらせたいって思うくらいの動機なら

ムリだろうなと思う

天動説が支持されている時代に

地動説への「コペルニクス的転回」を経験してしまったぐらいの衝撃がないと難しいだろう

それに 視るだけだと まだ己の色眼鏡だから

「ウケる」ことで 初めて 己の思い込みや当たり前という前提がある枠に気づく

それって 己の感覚だけでは 気づかないし 違いが分からない

だからあの段階で ああなったのだと思うし 呑まれないためにも 枠をするためにも

真逆から来た人・・・お互いを必要としたのだろう

それに段階を経て

パズルがハマるように気づかないと 性質上 スル―するだろうし

うそっおん?で終わる(爆)

そういう意味でも、最初の段で 我の感覚や知覚、

己の中に信じられる何かがある事は、とても大切だ

なんかあれだけ問答無用でウケ続けて

分かったつもりになっていた己を振り返ってみるとそう思う

それがなければ行き着かなかった訳で

そこまで行かなくても気づく存在は居るかもだけど・・・人ではない気がする

だから Aは まずは人ではなく 存在に言ってるんだと思ったし←ココは己の源と対峙して

そうだ、まさにその通りだと思ったし

もちろん、当たり前に「ウケて」いた

ブログもやりたくてやってるわけではない、と書いてあったけど

歩みは辛くて辛い訳ではないだろう、それしかないから・・・ということだろう

何故こんなことを想ったかというと

Uちゃんの仕事を断った時

一途に成り過ぎて、現世の身体を疎かにしないでね

今の身体も、とても大切だからと言われた

私自身はそれしかないからやってるだけで ソコにラクしたいとか辛いはない

肉体的な疲労はあったりするけど源と合わさっている時は 何でもござれで

あまり疲労感を感じないワケで・・・

夢中になってる状態で 他のことに気を遣えない

途中でやめられるのか・・・へーと思った

それに基本的にどうでもいいんだよね、肉体なんか・・・かりそめだと

はなから思っていたから

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分かりやすい例えで言えば←分かりやすいのか(爆)

毎日1本DVDを見てる人が問答無用で 10倍速くらいで3D体験でDVDを

1日100本くらい見る生活

それを2,3年続けた後に脳がどうなるか・・・何をどう思うか・・・的な(?)

とほうもない例えだけど

1日1本見ていた時には 予想も 予測がつかないほどの結末

誰が思いつくかよ?!

って

道ではなく

航路になって

空路になって

さらには知らない【何か】の場所へ

意図しない方向に踏み出していた

・・・あれ?マジで!ありなの???

それはそこに巻き込まれなければ分からない作用だ

だからこそ好き好んで 万人は望まないし

だからこそ 終わらせるという意味は言葉では・・・分かった気になるけど

誤解が(かなりの差異を招く、ある意味 聖書みたい) 生じる言葉である

全く伝わらないだろうと思う所以だ

そして伝えるという行為は特別性を温存するだけだから しないんだ

ってか、出来なくなる、ソコを望むならば・・・というコトだ

また思いついたら書くけど

ひとまず・・・終わり。

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